働くニート

働き始めて早2か月が過ぎ、会社の空気と自分の空気が違和感なく混ざりあってきている。

はじめは自分だけがよそ者であるかのような感覚に耐え難い苦痛を感じていたけれど、今は自分の立ち位置みたいなのができてきて、それに見合った行動ができ始めている。

 

仕事に慣れてきてもやっぱり働くのは辛い。1日8時間以上自分の時間が奪われるというのは、理不尽に感じてしまう。

しかし、その対価としてお金を貰う喜びもまた格別で、この麻薬にやられてみんな働いているんだなあと思う。

 

僕は、「働かない生き方」に強い憧れを持っていて、そのような生き方を実践している人の著作をたくさん読んだりしている。それ故に、今すぐに仕事がなくなってもぎりぎり生きていけるのではないか、という感覚を常に持っている。

なんなら、働かない方が幸せなのではとも思うときがある。しかし、仕事を辞めようと思ったことや、就職せずに旅に出ようなどと思ったことは一度もない。

それは、働くことでしか得られない喜びもきっとあるはずだ、希望を捨て切れていないからだ。働かないで暮らしている人たちが切り捨てた仕事というものを、僕はどうしても見捨てることができない。

 

だから今考えているのは、「普通に週5日働いている人間に、ニートの論理を組み込めないか」ということだ。ニートニートたる所以は、嫌なことに対する徹底的な逃亡である。仕事をしているとそれは難しいことも多いが、プライベートであれば実践できる。

飲み会を断る、遊びも時には断る、嫌いなやつとはつるまない、社員旅行には行かない、などなど。

このような実践の先にあるのは、究極的に自分のためだけの時間が増えるということだ。ニートニート中毒になるのはこれに尽きると思う。自分の時間を自分のために使うという実践ができれば、働いて収入を得ながらにしてニート的享楽も手に入れられる。

 

と、信じている。