モチベーションが高いやつの話
1週間乗り切りました。
乗り切ったと言ってもたいしたことはしていません。
デスクワークを8時間とちょっと、それを5日間続けただけです。
でも、お金のためとはいえ脳みそ使ってトータル40時間以上働いたんだから褒めてあげてもいいと思うんです。誰も褒めてくれないので僕が、自分で、褒めます。
よく頑張った。
僕はモチベーションが高い人間に出会うと気後れしてしまいます。
なぜなら、自分が頑張れていないような気になるからです。
では、僕自身が万物に対してモチベーションが低いのかというとそんなことはありません。
仕事においても、「早く先輩たちに追いつき、戦力として認められたい」という極めて健全なことを思っており、モチベーションもそれなりに高いのではないかと思います。
友達を作ることにも積極的で、知っている人が少ない飲み会にも参加して、交友関係を広げようとしています。失敗することも多いけど。
趣味もあります。野球、読書、散歩、カフェ巡りなどなど。それぞれに対して、趣味といえど、真面目に取り組んでいます。
だから、僕自身はそこまでモチベーションの低い人間ではありません。
それでもモチベーションが高い人達に気後れしてしまうのは、僕が正直過ぎたからだと思っています。
というのは、モチベーションの高い人達は、自分のやる気もステータスの一部だと思っている節があるので、一生懸命さをそれはそれは一生懸命アピールします。たとえば、職場に誰よりも早く来たり、雑用を自ら進んで引き受けたり、説明会でやたらと質問したりです。それを、胡散臭いな、と切れ捨てられる人間だったら気後れはしません。胡散臭いやつと出会っただけです。
でも僕はそのような人に出会うとその一生懸命さを本当に尊敬してしまいます。
もちろん、やる気が空回りしている様子に痛々しさを覚えることもありますが、それでも心のどこかでは羨ましく思っています。
そして、そう思う僕の方が彼らに対する態度として正しいとも思っています。
だって、雑用引き受けたり、説明会で質問したりする人は純粋に凄いじゃないですか。
自分がやるべきと思ったことを素直にやれる能力は本当に羨ましい。
正直、嫉妬してしまいます。
だから、そのような人に出会うと自分のちっぽけさに嫌気がさします。
どうして、「上司にゴマすってるところを同僚に見られたくないから雑用を引き受けるのはやめよう」とか「分からないところがあるけど、こんなことも分からないとばれるからやめよう」とか思ってしまうのだろうと頭を抱えてしまいます。
それが溜まりに溜まって、モチベーションが高い人を見ると気後れしてしまう体質が出来上がりました。
でも、こんなイチャモンを付けることもできます。モチベーションが高いのはいいことだけど、それをアピールするのは果たしていいことなのかは疑問だよ、。
モチベーションをやたらにアピールするということは、ある種のマウンティングです。
「お前よりも俺は頑張っているぞ」と周囲に自分より下であることを自覚させようとするのです。
マーキングでもあるかもしれません。上司、同僚に自分は頑張っている人間なんだと思わせることによって、自分の縄張りを作っているのです。上司と同僚に小便をひっかけてるようなもんです。
先ほど挙げた例もそうですが、モチベーションのアピールは過程のアピールです。
「結果は分からんけど、俺はこれだけ頑張ってるから偉いよ」ということです。
これはよくよく考えるとおかしい話で、アピールしなければいけないのは結果です。
結果を出さずにアピールしているというのは詐欺みたいなはなしです。
だから、モチベーションの高さがにじみ出ている人は一種の悪なのです。
しかし、もちろんこれはただの負け惜しみにしかなりません。
だって、彼らは得てしてアピールをしているのではなく、自然な振る舞いがアピールになってしまうのです。
また、過程をアピールをするということは、自分の身を守るために社会人として当然やらなくてはいけないことで、「報告・連絡・相談」という名前で教え込まれるものです。それができるという点だけで十分に優秀な人材です。
そして、それができるひとは大体結果も出せます。
当たり前です。正しいことを正しくしているのだから。
どうあがいても、モチベーションが高いやつを見下して自分の精神衛生を清潔な状態に戻すのは無理そうです。
だから、他人についてあれこれ考えるのはやめて、僕なりに頑張ったことに満足したいと思います。
社会人になる前の僕よりは少しまともな人間になっている気がするので、合格です。
でもそれを褒めてあげられるのは僕しかいません。だから最後にもう一度褒めてやろうと思います。
よく頑張った。